「考え方の練習」という本を読んでいてこの考え方はなかったと思わされるところがありました。
それは、ここ。
「受け手なんて関係ない」っていうのは「読者を信用する」ってことなんだ。
相手が理解できるように説明する
相手に説明する際には、相手が理解できるように説明しないといけません。
例えば、次のような場合、
「手形払いでも取引先によっては、廻し手形にしてくれ。というところがあります。」
このように話した時に「廻し手形」の意味がわからない人もいます。
その時には、廻し手形の意味を説明してあげないといけません。
ひどい場合には、「廻し手形も知らないのかよ。使えねぇなあ。」なんて言う人もいますよね。
わからないままにしておくと、間違う可能性が高くなります。
教える(伝える)側は理解できるように教えるし、
教わる側は、理解する努力、わからなければ聞く(確認する)などする必要があります。
これが基本原則ではないでしょうか。
相手を信頼して話す
ですが、「考える練習」には、上記のように書かれています。
これは、著者が本を書く時の姿勢として書かれたもので通常会社で働く上では、このような考え方は必要ないでしょう。
だからこそ、こんな考え方をしてこなかったし、しちゃいけないとも思っていました。
しかし、通常とは逆の考え方をするということで違った見方ができます。
信頼する関係を築くことで、”理解できるように”ではなく、
伝えたい思いをそのままぶつけるということもできるようになるでしょう。
そうした方が、真意が伝わることもある。
”こうあるべき”には注意
結局、どちらが正しいというわけではなくて、目的に合わせて使い分けていくということ。
なのですが、私の身近なところで、
「これくらい普通はわかるよね。」
「基礎知識として知っておかないとダメでしょ。」
というような相手を悪く言って、理解できるように自分が努力をすることをしない人が少なからずいます。
そういうこともあり、”理解できるように話すべき”と思い込んでしまっていました。
基本は、大事であるけれどもそうでない方が良い時もある。
なんでも”こうあるべき”とべき論で考え出したら注意が必要ですね。