人生の棚卸しをしてみようと思い何回かに分けて書いていこうと思います。
振り返ってそこから何が学べるのかをまとめてみます。

高校の選択

私は、千葉商業高校を卒業してすぐに就職しましたので学生時代は高校までです。
高校生までを振り返って今にどんな影響を与えているのかを考えてみました。
高校は、商業高校の情報処理科です。
どんな基準で高校を選択したのか?

中学生の時にすでにやりたいことがあったかというと野球がやりたいということだけでした。
プロ野球という夢はありましたが、多分、無理だろうという思いもありました。
ですから、高校は野球が強いところが良いが、高校を卒業した後の就職も考えての選択でした。

大学への進学については、全くと言っていいほど考えていませんでした。
私が思っていた大学は、「遊ぶところ」
4年間遊ぶのであれば、就職した方が良いと考えていたからです。
情報処理科というのは、IT(当時はそんな言葉ありませんでしたが・・・)を学びたかったということではなく、
誰であったか忘れてしまいましたが、私に向いているのではないかという助言を受けて決めました。

高校時代

高校では、野球を中心にして動いていました。
その中で大きな出来事としては、2年生の時に野球部の監督に「マネージャーをやらないか。」と言われたことです。
練習ではノックをしたり、バッテイングマシンにボールを入れる等。
試合では、スコアブックを付けたり、判断力が良い人だと3塁ランナーコーチャー専属として背番号をもらってベンチに入る人もいます。
ある面、ベンチ入の可能性は高まるのですが、選手としては練習すらできなくなります。

これは、私にとってはショックでした。
先輩からは、「監督に目をつけられたら逃げられない。マネージャーをやるか、野球部を辞めるかだ。」と言われ非常に悩みました。
野球部を辞める覚悟でマネージャーはやらないことを伝えると「わかった。頑張れ。」と言われて選手として続けることはできました。
しかし、ただそれだけで、レギュラーどころかベンチにも入ることができずに高校3年間を終えます。

野球においては、不完全燃焼という感じでした。
つい最近まで高校生になって野球をやっている夢を見ることがありました。
自分の中で高校に戻ってもう一度野球がしたいという潜在意識があるのではないかと思います。

ですが、高校時代にもうひとつ大きな出来事がありました。
それは、情報処理科でプログラミングを学び、その面白さにハマってしまったことです。
高校生では合格するのが難しいと言われていた国家試験である情報処理技術者試験2種に挑戦し、見事に合格しました。
そこで、プログラマーという仕事をしたいという思いが出てきました。

気づき

野球において、なぜ、不完全燃焼だったのか?
それは、本気ではなかったのではないかということです。
まず、高校を決める時に本当に野球をやりたかったら、就職のことは考えずに高校を決めても良かったのではないだろうか。
(今、思うと高校で選択ミスしても取り返すことはそれほど難しくない)

そして、もっと必死で練習ができたのではないだろうか?
本当に必死で練習していれば、監督は「マネージャーをやらないか?」とは言わなかったのではないだろうか?
どこかで、「上手くならない」という諦めのようなものがあったのかもしれません。

それに比べると情報処理に関しては、面白いと思って自分で勉強をしていました。
必死であったか?と言われると必死ではなかったように思うけれども楽しいので自分から学ぶことをしていけた。
私の場合、「必死」という言葉より「楽しい」という言葉のイメージでできることが良いのではないだろうか?
今思うと野球においては、楽しさを忘れてしまったことが原因なのかもしれないですね。